――KSWが“静かに強い会社”であり続ける理由
中国市場で事業を展開する日系企業にとって、「いつ進出したか」「誰がどれだけ現
地に向き合ったか」は、組織の性格を大きく左右します。
神鋼新确弾簧鋼線(佛山)有限公司(以下、KSW)の強さは、制度やスローガンではな
く、こうした背景そのものから読み解くことで、はじめて立体的に理解できます。2021・
2023・2025年に実施された従業員意識診断と、総経理・高野宗典氏へのインタビュー
から見えてきた、KSWの「再現性のある強さ」を紐解きます。

1.中国進出の「遅れ」を「先行優位」に変えた5年間
KSWが工場を稼働させた2012年は、日系企業の進出ピークから10年近く遅れたタ
イミングでした。当初メインに据えていた日系顧客とのビジネスは想定通りには進ま
ず、最初の5年間は苦難の連続でした。
しかし、この「遅れ」がKSWを強くしました。
- 逃げ場のないローカルシフト: 日系頼みが通用しない現実を受け入れ、早い
段階で中国ローカル顧客の開拓に舵を切りました。 - 逆転の構図: 近年、多くの日系企業が中国市場で苦戦する中、KSWはすで
にローカル市場での経験を積み、「他社が良い時に苦しみ、他社が苦しい今、
成長曲線を描く」という独自のポジションを築いています。
これは洗練された戦略というより、その場から逃げず、現実に合わせて泥臭く変わり
続けた結果です。
2.「5年」という月日が、組織の形を整えた
高野氏は、2021年より4年間、副総経理を務め、2025年より総経理職となっていま
す。組織文化を語る上で、高野氏の約5年にわたる駐在期間は決定的な意味を持ち
ます。短期赴任では、表面的な数字は追えても、組織の深層までは手が届きません。
- 結果を見届ける責任: 自分が発した言葉がどう現場で歪み、どう受け止めら
れたか。その「結果」を最後まで見届けて修正するには、一定の歳月が必要で
す。
新陳代謝への危機感: 高野氏は「自分が会社に長く居過ぎることで、社員が
新しい発想を生む邪魔をしてしまうかもしれない」と、長期赴任のリスクすら冷
静に語ります。この「健全な新陳代謝への視点」こそが、組織を硬直化させな
いブレーキになっています。
3.「安全」は、総経理にすら妥協を許さない絶対規範
KSWの意識調査で最も特徴的なのは、全員に浸透した「安全」への意識です。それ
は単なるスローガンではなく、現場の切実な条件から生まれています。
- 物理的なリスク: 最高温度が1000度近くの熱処理炉が狭い工場内に鎮座
し、強度の高い鋼材を扱う現場。一歩間違えれば命に関わる環境が、「安全
が最優先」という前提を骨格にしました。 - 象徴的なエピソード: ある時、工場を回っていた高野氏が、フェンス越しでは
あるが生産ラインに近づきすぎた際、現場の社員から「危ないから離れろ!」
と一喝されたといいます。
「総経理という立場に関係なく、安全のために正論を言える。これこそがうちの最大の
持ち味です」
高野氏がそう語る通り、安全はもはや話題にする必要のない「空気」のように内面化
されています。
4.「言える空気」を支える「ワンクッション」の作法
KSWにはコンプライアンスの観点での「語り合う場」や社員意見を出し合う会議体が
あります。しかし、仕組み以上に重要なのは、現場から出た意見への「返し方」でし
た。
- まずは受け止める: どんなに突拍子もない意見でも、まずは否定せずに受け
止める。 - プロセスを見せる: できない要望に対しても、「検討したが、この理由で今は
できない」と理由を添えて返す。 - 管理層の徹底: 「すぐに跳ね返さず、一度持つ」というこの地味な運用の積み
重ねが、「言っても無駄にならない」という信頼感を組織に定着させました。
こうした努力が実を結び、意識診断の結果は年を経るごとに改善しました。例
えば、「全般的に今の仕事に満足している」という設問に対する「そう思う」「ど
ちらかといえばそう思う」の合計は、60.2% (2021年)、68.8% (2023年)、88.8%
(2025年)と向上しました。
5. 現場の声が示す「言える会社」
2025年の自由回答には、次のような声が並びます。
- 「意見を言いやすい雰囲気がある」
- 「上司が話を聞いてくれる」
- 「会社は安定しているが、将来は少し不安もある」
- 「とても満足」
- 「毎日少し果物があればうれしい」
これらは、会社への不信ではなく、この会社に“居続ける前提”で語られた声です。
不満ですら、経営と同じ地平で書かれている。これこそが、KSWが「静かに強い会社」
である最大の証拠です。
6.「自律・自走」は、未来への危機感が生んだ帰結
2025年の調査で際立っていたのが、社員の「自律感」の高さです。これもまた、理想
論ではなく厳しい現実認識から生まれています。
- EVシフトへの対応: エンジン関連部品に関わるKSWにとって、市場の縮小
は厳然たる事実です。高野氏は「どのような環境であってもお客様に一番に選
ばれるメーカーになる必要がある」と伝え続けてきました。 - 現地化へのバトンパス:「社員が成長したからこそ日本人駐在員の役割は縮
小していく。自分たちで考え、決めていく領域を増やさねばならない」というメッ
セージは、現場の当事者意識を高めています。 - その結果、例えば「自分で見通しを立てながら仕事をしている」という設問に
対する「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の合計は、65.6% (2021年)、
69.9% (2023年)、78.6% (2025年)と向上しました。
7.「健全な課題」が見えているという強み
もちろん、全てが完璧なわけではありません。現在のKSWは、次のステージに向け
ての課題に向き合い続けています。
- 品質向上:ベース品質が過去より良くなったとはいえ、部分的には競合他社
に劣後しているという現実を受けて止めている。それは伸びしろでもある。 - 市場の縮小: EV化という抗えない潮流の中で、既存の強みをどう再定義す
るか。
しかし、これらの課題が現場から声として上がってくること自体が、組織が停滞してい
ない証拠です。課題を隠すのではなく、テーブルに乗せて議論できる。これこそが、
KSWの本当の強さです。
8.「安全」が当たり前になった組織の“次の悩み”
KSWの自由記述を時系列で分析すると、興味深い変化が見えてきます。
2021年・2023年には頻出していた「安全」に関係する言葉が、2025年には相対的に
減少しているのです。
一見すると、「安全意識が低下した」ようにも見えます。
しかし高野総経理は、これを異なる観点から捉えています。
「安全項目の点数は以前から高かった。安全への取り組みに安心感と一定の自負が
根付き、それに伴い、社員の関心が、チームワークや自律、働き方に移ってきたのか
もしれない」
これは、安全が軽視されたのではなく、
安全が“前提条件”としてクリアされ、組織がより高度なテーマに進化したことを意味
しています。
多くの工場は、いまだに
「安全を守る」「事故を減らす」段階で止まっています。
KSWはすでにその先、
「どうすればチームとしてもっと良く働けるか」を議論するフェーズに入っているのです。
結びに――「普通のことを、やり切る」という非凡さ
KSWの強さは、
- 遅れて進出したからこそ、ローカル市場へ本気で向き合った。
- 安全が、総経理すら叱られるレベルで文化になった。
- 対話において「一度受け止める」というプロセスを愚直に繰り返した。
という、当たり前のことを時間の重みに耐えながらやり切り、積み上げてきた結果で
す。派手な変革ではありませんが、そこには揺るぎない「再現性」があります。 「変化
を恐れず、動きながら考える」という現地のスピード感と、日系企業の「誠実なプロセ
ス」が融合した稀有な組織。それが、KSWという会社です。

